AOT原作以前第29.5話

 

 

リヴァイに抱えられ、ユーリは救護班へと運ばれた。

完全に折れ曲がった足では立体機動装置を扱えないどころか、まともに歩くこともままならない。夜にたどり着いた壁外拠点で、ユーリは翌日以降、他の負傷兵やその護衛のための兵士ともに待機することになる。

 

 

野戦糧食を食べた後、痛みに動くのも億劫でユーリはぼんやりと広間のテーブルの上に頭を乗せていた。しかしふと胸元に触れた時、はっと起き上がった。

 

「…な、ぃ……」

上着の内ポケットを弄ったユーリは、ざあっと血の気が引くのを感じた。

 

今年に入ってからいつも壁外遠征の時に持っていた『お守り』。それが見つからない。落とさないようにとポケットの口のところは追加で縫いつけた紐できっちり縛っていたはずなのに、それが完全に解けている。

 

伝令に行く前は布越しにゴツリとした感触があったはずだ。巨人に応戦した時に落としたか。もしそうだとしたら、もう二度と手元には戻ってこないかも。

認めたくなくて上着の別のポケットや、自身のズボンなどを探るが見つからない。

いや、もしかしたら鞍袋に入れたかもしれない。

 

可能性は低いと知りながらも、一縷の望みをかけて、ユーリは松葉杖を支えに立ち上がりーー

 

「おい」

 

失くしもので頭をいっぱいにしていたユーリは突然かけられた言葉に飛び上がった。

「わ、ッーー!!」

バランスを崩した体を支えようと咄嗟に左足を床につき、激痛が体に走る。もちろん倒れゆく体を折れた足で支えることなどできず、そのまま倒れるかと思ったところで、後ろから抱え込むようにユーリを支える腕があった。

 

「危ねぇな…」

上から降ってきた低い声。見上げれば不機嫌そうに眉を顰めたリヴァイの姿。

 

「兵長! すみません!」

リヴァイは慌てて自力で立とうとするユーリをさっさと両腕で抱えると、元々座っていた彼女の席へと下ろした。

 

「部屋に戻るのか?」

「あ、いえ…」

歯切れの悪いユーリにリヴァイは眉を寄せる。

 

「じゃあどこに行くんだ」

「え、と、その、夜の、お散歩…?」

「あ”?」

誤魔化すようにえへへと笑ったユーリをリヴァイは睨みつけた。ユーリはきゅっと肩を縮こまらせる。この過保護な上司が、怪我をした状態のユーリがふらふらと出歩くのを許すわけがない。

 

「お前がそんなに馬鹿なら、言葉で言わなくてもわかるように俺がもう片足も折ってやる」

本気だと言わんばかりにユーリの右足に手をかけたリヴァイをユーリは慌てて止めた。

 

「う、嘘です! すみません!」

「じゃあなんだ」

「ぅ…」

もじもじと指をこするユーリを、リヴァイがじっと見つめる。

 

「厩舎に、行こうと…」

「馬の面倒はペトラが見てくれると言っていたはずだが」

「はい…」

「チッ…ユーリ、何か俺には言いづらいことか」

苛立ったように舌打ちする。目つきは鋭いが、ユーリの頬に触れる指先はそっと繊細なものを触れるようで、声音は心から心配してくれているものだ。彼の優しさに申し訳なくなる。

 

「その、落としものをしたので、探したくて…」

しゅん、と肩を落とす彼女を見て、リヴァイは「あぁ」と小さく言った。

 

「これか?」

そう言って差し出されたのは、つまめるほどの大きさの丸い容器だ。

 

ユーリはそれを見てぱあっと顔を輝かせた。

「これです!! ありがとうございます! え、あれ、これどこにありましたか?」

「厩舎の近くに落ちていた。お前、わざわざ持ち歩いているのか」

「え、えぇまぁ、はい」

リヴァイの言葉に、ユーリは曖昧に笑う。リヴァイがこれを持ち歩いている理由を訝しんでいるのはわかるが、それについて掘り下げられるのはあまり都合が良くない。

 

この容器は、リヴァイにもらったものだ。唇を噛み切ったところに塗るための軟膏が入っていた。軟膏はもう使い切ってしまったけれど、その代わりに、先日リヴァイにもらった石鹸の欠片を入れている。

何も、石鹸を持ち運ぶことが目的ではない。『お守り』なのだ。リヴァイからーー好きな人からもらったものを持っているだけで、強くあれるような気がして。

 

リヴァイにも見覚えがある容器に中身。だからユーリの「落としもの」という単語でこれが出てきたのだろう。しかし、それをわざわざ運ぶ理由。その真意を悟ればおそらく気持ち悪く思うに違いない。なんの気なしに送ったものがそんなふうに肌身離さず持ち歩かれているのだから。

 

とにかく受け取ってしまえば話は終わる。礼を言いながらユーリが容器に手を伸ばすと、さっと容器を遠ざけられる。

 

「、あの」

「何を隠している」

「……いえ、何も」

「下手クソなくせに嘘ついてんじゃねぇ」

視線を逸らしたユーリに、リヴァイは呆れたように言った。

 

「たっ大したことじゃ…兵長に言うほどのことではないので!」

「あ”?」

ぎろりと凶悪な目で睨まれ、ユーリは首をすくませた。少しからかうような響きだったリヴァイの声が一気に険を帯びたものに変わる。何か逆鱗に触れたらしい。

 

「言え」

有無を言わせぬ彼の様子に、ユーリはおろおろと視線をさまよわせる。言いたくない。

 

「ぅ…」

ちらりと見上げる。おおよそ見逃してくれそうにない厳しい視線が降り注いでいる。

 

「あの、…ひ、引かないでくださいね…?」

「内容にもよるが」

その返答に眉が下がる。自信を失ったユーリにリヴァイが少しだけ口角を上げた。

 

「いいから言ってみろ」

「…お守りにしていたんです……」

「は?」

 

理解しかねるという表情をしたリヴァイに、ユーリはどんどんと顔に熱が集まっていくのを感じる。好きな人にもらったことが嬉しいからって常日頃から持ち歩くだなんて、どんな痛い女だ。しかもそれを、思っている相手に言うだなんて。

 

「気持ち悪いですよね…やめます、すみません……」

「そうは言ってねぇが、なんでそんなもん…お守りならもっとそれらしいのがあるだろ」

「……兵長から頂いたので、強く、なれる気がして…持っていたくて…」

俯いてぎゅっと手を握るユーリを見て、リヴァイは少しばかり呆然とした。

 

ユーリの顎を掴んで顔を上げさせれば、彼女は目元を赤くにじませて羞恥に瞳を潤ませている。一瞬だけリヴァイと目を合わせて、しかし恥ずかしそうに視線を逸らしてきゅっと目をつぶった。

リヴァイは吸い寄せられるようにその唇に己のそれを近づけさせ、けれど一瞬止まってから額にキスを落とした。彼女の手の中に『お守り』を握らせてやる。

 

「なくしたって、またくれてやる――だが、大事にしたいというなら、それでも構わない」

「――は、い」

「あまり心配をかけさせてくれるな」

「い、いつもいつも、ご心労おかけいたします…」

 

額を押さえながら、ユーリはこくこくと頷いた。手間のかかる妹に対してするような、もの。そう思うのに、この甘やかしが自分にだけであればいいと、あわよくば愛する人に対するものであればいいと思ってしまう。

 

無表情なことの多い彼が自分と話している時に少し表情豊かに見えるのは、特別だからだと期待してしまう。

だめだ、自制しないと。烏滸がましい。部下に対する労りを特別な愛だと錯覚するなど、勘違いも甚だしい。

 

期待とそれを打ち消す克己心とがぐるぐる巡るユーリの目の前に、リヴァイの手が差し出される。

見上げればリヴァイの瞳は優しく緩んでいて、その表情にきゅうと胸が締め付けられる。こうして甘やかされることが、たまらなく嬉しい。

 

「用事が済んだのなら、部屋に戻るんだろう。転ばねぇように隣で見ててやる」

「…ありがとうございます」

 

今こうして彼が自分を見てくれることに、幸せな気持ちが湧き上がる。ふにゃりと笑って、ユーリは差し出された手を取った。

自分だけをずっと見てくれればいいのに、なんてわがままは、そっと心の奥に閉じ込めた。